イイジマの心の中

育てるのではなく、育つんだなと思ったお話し

育てるのではなく、育つんだなと思ったお話し

こんにちは!

「○○を育てる」という言葉を使うと聞くのですか、それについて違和感を感じている飯島です。

「○○を育てる」は「主体が育てられている人やものなのか。それとも育てる側なのかどっちなんだろう?」と感じ、僕の思った結論としては育てられる側が自然と育ってもらうことが大切だなと思ったお話しです。

”育てる”、”育つ”、主役(主人公)はどっちなのでしょうか?

育てるというのは指導者Aが選手Bを育てるというように指導者Aが主語となっています。

育つという言葉にすると選手Bが育つ。すると指導者Aという言葉がなくなります。(指導者がいらないと言っているわけではありません。)

そう考えると選手Bが主人公となった場合は育てる側の指導者Aは言葉としての表記があってもなくても文章として成り立つので、あくまでも選手B視点からは主人公となることはできません。(何度も言いますが指導者がいらないと言っているわけではありません)

言葉だけを考えると主役となるのは育てられた側のBとなります。

こう考えると指導者Aは指導者Aの人生の主役ではありますが選手Bの人生の主役ではありません。

あくまでも共演者であるため、主役の選手Bが物語の中で活躍するように徹底サポートをすることが必要なのではないかと思います。

飯島は運動指導やスポーツのトレーナーを行っているため、あくまでも自分はサポート役。相手が心地よくいられるように徹底したサポートをすることが大切であると使命から考えるようになりました。

スポーツではわかりやすいと思います。

試合をするのは選手。

監督、コーチ、トレーナーはサポート役。

こう考えるとサポーターが育てるのではなく、試合にでる選手が自然と育ち、考え、戦うというのが理想なのではないでしょうか?

お互いに信頼することが大切

こう考えると指導者はいらないのではないか。と考えるようになります。

そうではありません。絶対にサポーターは必要です。

サポーターは相手とともに最善を考え、最短で結果を出せる知識を持ち合わせています。(サポーターについては後日書きたいと思います。)

物語に出ないあくまでもサポート役だから無下に扱ってよいかというとそうではありません。

例えばスポーツ選手のサポーターと考えると

  • 監督、コーチ
  • 審判
  • 試合会場の管理スタッフ
  • ファン
  • 家族

これ以上にもっとかかわる人は多いと思います。このような人がサポートしてくれたからこそその選手が育ってきたのであって

最適解をもっているため、尊重することが大切です。

最後に

物語には様々な登場人物がいます。

主人公1人では物語は発展しません。

僕の好きな歌にこんな歌詞があります。

愛しのマドモアゼル

今宵あなたをお迎えしますことは

最大の誇りであり最大の喜びです

ひとりぼっちの晩餐会

歌手:ポプラ、若江準威知

作詞:Howard Ashman 作曲:Alan Menken 日本語訳:高橋知伽江

出会うことができ、共演できることが奇跡です。それは誇りであり喜びです。

少しずつ育ってもらえるような、最高のサポーターになりたいと思います。

これから僕は「自分が主役、共演(助けてくれる)周りの人には感謝をしっかりと伝えていきたい」と思いました。

-おわり-

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